さびブログ@アラ還毒親持ちの日々

それでも絶対幸せになれる。

自分だけのハッピーエンディングノート(極秘)

引き寄せの記事で、未来の自分から今の自分へのメッセージについて書いたけれど、

実際の私は特に、未来に望む具体的なこともなく、穏やかな今の状態が続くことを願っている。

人生の折り返しを過ぎて10年以上も経つと、南の島での自由な休暇に憧れるよりも、

1日1日の「今、ここ」を、

いかに充実させるかの方に興味がある。

そしてもちろん、願うのは愛する人たちの健康と幸福である。

 

二人の娘たちはとっくに独立して家を出て、一人は間も無く結婚式を挙げる。

家を出たのはもう一年近く前、コロナで緊急事態宣言が発令されたその日に入籍した。

もう一人は少し離れた地域で医療従事者として働いている。

どちらも大切な私の宝物。ラインのやりとりはある日もない日もあるけれど、ただ健康で無事でさえあればいい。

子育てに多くを望んだのも遠い昔の日となった。

 

例えば10年先の未来に望むことを設定したとして、人生はその後も続いてゆく。

塞翁が馬の喩えの如く、何を望んだとしてもそれが本当に「いいこと」なのか、それとも

逆にその後の人生に悪いタネをまく出来事なのかは誰にもわからない。

 

ならばいっそ、焦点を臨終の瞬間に定めてやろうと思い立った。

そこでタイトル、ハッピーエンディングノートです。

 

ところで皆さんは、どんな死に様で人生を終えるか、を想像したことがおありですか?

10代20代のコドモにそれを想像しろと言っても無理だろうし、30代40代でも無理な気がする。

私なんぞ50代になってもまだまだ上を見て悪あがきを続けていたような気がするし、人によっては

7080になっても「前向きに生きることだけに焦点を当てて」頑張っていらっしゃる方もいるだろう。

 

だがしかし、人間は等しく皆死を迎えるのである。

これで終わり、を悟った日に、走馬灯のように頭を巡るであろう想い、、、

 

私はこれを引き寄せようと思う。

 

第一に愛する娘たちの人生が、その段階でまあまあ幸福に満たされているのを確信できること。

第二に、死後自分の意識がどうなるか、を恐れずにいられること。

そして願わくば、脳内エンドルフィン?の作用が理想的にフル回転していて、苦痛を感じないで済むこと。

 

意識が薄れてゆく中で、娘たちには伝えたい。

私がいなくなってもあまり悲しまないように(少しは悲しむように)。

 

そして、家族を大切に、自分の人生を思う存分生きてください。

このことをノートに書こう。

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なんだかな、あまりにもありきたりで平凡な気もするが、どう想像しても私、

これ以上の望みってないような気がするんですよ。

 

死の瞬間に思い残すことなく満足していられるって、究極の幸せだと思いませんか?

 

忘れていた。その時夫はどこにいるんだろう?

あの世で私を待ってくれているのだろうか、それともまだ、未練がましくこっちの世界にいるんだろうか?

 

 

 

    さびドラ

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