さびブログ@アラ還毒親持ちの日々

それでも絶対幸せになれる。

子どもは親をどう見ているか

子どもの本心

親にとって子どもが何を考えているかを知るのは意外と、至難の技である。

ここで「意外と」と書いたのは、逆に自分の子どもの内面は、何から何まで知り尽くしている、

と考えている親が多いように思うからだ。

特に母親は、この傾向が強い(ように思う)

生まれ落ちた瞬間から世話をしてきた記憶がそう思わせるのだろうが、それもせいぜい幼児期までのこと、思春期ともなれば

自分の子どもを一番、知らないのが案外親だったりもする。

 

学校から呼び出しが頻繁にあったり、成績が目に見えてガタ落ちしたり、不登校になったり、といったわかりやすい子どもは別として、

淡々といつの間にか「大きくなりました」といった子どもに対しては、幼児期そのままの「我が子像」をイメージしつつ

接し方を変えようとしない親が多い。

 

もちろんその中には毒親も含まれるけれど、無害な親の元でもこういう子どもは育つから、

親子の間には静かな「なんでもない関係」が築かれる。

 

そうした子どもにとって、親とはまさに、「なんでもない存在」なんであって、好きとか嫌いとか

意識するまでもない、

ただそこにいる人

なんだと思う。

 

私は実に、これが理想的な親子のあり方だと考えている。

 

もういい年になってるにもかかわらず「親が大好き」という人は注意したほうがいい。

逆に言えば「私の子どもは私を大好き」だと信じている親は自分の毒性を疑ったほうがいい。

以前も書いたけれど子どもにとって理想の親とは、

普段その存在を意識されない、もしくは意識しなくても大丈夫、という

安心感を与えてくれる親である。

 

故郷は遠くにありて思うもの

昭和のにほい芬々たるこの美しい言葉の中には、そこにいつも「淡々といる」親ももちろん

含まれていることだろう。

 

成人した子供との接点は、そのくらいがいい。無視されるくらいがちょうどいいのである。

もちろん寂しさはある。けれどその寂しさを耐えてこそ、親は子どもを本当に愛している、

と言えるのではないだろうか。

 

自分の子には親に対して割かねばならないエネルギーを、自分の人生に振り向けて欲しい。

それでなくても生きていくのに大変な世の中である。エネルギーは1ミリでも、無駄遣いするなよ。

私は大丈夫だから。まだまだ死なないからね!

 

・・・と、私は嫁いでゆく娘に伝えたいのである。

 

最後に

子育ての訓戒?としてこれは有名な言葉なので知っている方も多いとは思うが

どうしても書きたくなったので書くことにする。

十戒までないのが残念なほど、

私の大好きな、本当に大好きな言葉である(いつも思い出すと泣きたくなるのよね)

 

(母親は子どもが)

乳児期には、肌を離すな

幼児期になったら肌を離して、手を離すな

思春期になったら手を離して、目を離すな

青年期以降は目を離して、心を離すな

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以上です。読んでくださりありがとうございました。

 

   さびドラ

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