生きていてもなんだか楽しくない時は、親との関係を見直してみる
生きていて楽しくない。
なんだかいつも、自分は損をしているような気がする。
そういう人は一度、自分が毒親育ちではないか、疑ってみましょう。
親を毒親認定するのは心理的な壁がある
確かに、わたしも最初の頃はそうでした。
まさか、自分の親が?
自分自身の問題は棚上げしておいて、親のせいにするなんて罰当たりではないか、
悪いことではないのか?とか。
ですが考えてみてください。あなたは現に、親と対話するだけで無性に腹が立ち、
イライラし、精神が不安定になる、、、
つまりは親の存在が人生に大きな影を落としているんです。
ものごとは多面的に考える必要があります。
少し違う観点から見るだけで、それが「目から鱗」の方向転換となって、それ以降その人の人生がぐんと、
生きやすくなるという例があります。
どうせ生き辛いと感じているなら、それを全面的に自分のせいにするのではなく、一度、
親の方に問題があったのではないか?
と、考え方を180度変えてみましょう。
幼い頃の親との関わり
いかがですか?
相当数当てはまらない、という親を持つ人。
あなたが生き辛いのも無理はありません。
あなたは親から興味をもたれず、重要視されず、基本的な愛情表現も受けられないまま、
幼少期を過ごしたことになります。
これだけでも立派に、人生は生きづらくなってしまいますが、ここにさらなる複雑な展開が加わり、
事態を悲劇的にしてしまうことがあります。
さらなる悲劇とは
こういう子どもが成長してくると、今度は逆に親が子どもに甘えてくる、ということがあります。
子どもの研究家として名高いボールビーは「親子の役割逆転」と言う言葉を使っている。
「親子の役割逆転」とは、親が子どもに甘えることであるが、子どもが親に甘えるのが自然である。それが逆転していると言う意味である。
本来親が子どもの甘えの欲求を満たしてあげなければいけない。それなのに逆に子どもが親の甘えの欲求を満たしてあげる役割を背負わされる。
(出典;加藤諦三「子供にしがみつく心理)
親子の役割逆転
つまりは子どもの話を聞いてもらえず、親の話ばかり聞かされるんです。
それも直接、子どもに関係ない親の人生の、多くは自慢話だったりします。
子どもは内心、うんざりしながらそれを聞かなければなりません。
しかし、黙って聞いてさえいれば親は機嫌がいいので、我慢して聞いているうち
それが当たり前の日常になってきます。
わたしの場合はもう、ほとんど子守唄でしたね笑
これだけで、あなたの人生には不思議な光明が見えてきます。
生きるからにはなるべく楽しく、明るい日々を送りたいもの。
そのためには多少、親を悪者に仕立て上げたからってバチが当たるわけではありません。
それに、表立って親を責める必要ももちろんありません。
もちろん責めたくなる時期も訪れますが、その前にまず、
悪いのは自分ではなく、親である
と、堂々と仮定してみましょう。
その上で少しでも気が楽になれば、それはあなたにとって間違いなく一歩、
前進したということだと、私は思います。
さびドラ