さびブログ@アラ還毒親持ちの日々

それでも絶対幸せになれる。

毒親育ちといじめられっ子の関連性

毒親のタイプは大まかに3つあると言ったけれど、厳密に言えばこれらは微妙に

重なり合ってる部分がある。

共通しているのが「子どもを愛していない」ということだが、それゆえ

無害の毒なし親が子どもに接する対応の仕方とは、決定的に違う部分がある。

 

それは何か?

 会話の量である。

 

私の母は私に対して、一方的に自分のことばかりを話した。

幼い頃は子守唄のように母の生育歴を聞かされ、長じてからは親族の悪口を聞かされた。

 

会話というのは双方のピンポン的やりとりで成り立っていくものであるが、

子どもの言い分をほぼ、聞かず、自分ばかり喋る親と接していると、子どもはその年齢相当の言語能力が育たない。

いわゆる「ボキャ貧」のまんま幼稚園なり小学校なり、集団生活に放り込まれ、

当然ながら友達ができない。

もとい、できにくい。

毒親の気質を持つ親は、自覚のないまま周囲から孤立してたりするから、

地域のママ友繋がりの中でそれなりの集団を作っている子どもたちともうまくやれない。

 

気の弱い子は集団から弾かれ、そのままいじめのターゲットにされる。

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毒を持たないフツーの親でも、子どもと会話するのが超絶苦手、という人はいる。

ここで大切なのは、出来るかぎり子どもの話を聞く、という親の姿勢である。

子どもというのはとにかく承認欲求のかたまりだから、いつでも自分の話をしたがる。

○○ちゃんはねえ、○○ちゃんのね、○○ちゃんとね、あのね、あのね、、、、

誰もいなければ独り言ででも、自分のことを喋っている。

この独り言に、あいづちを打ってやるだけでいいのである。

 

いちばん悪いのは無視して何も答えてやらないこと。

私の母はこれだった。

幼少期の私はいつも、たった1人で家にいるような錯覚に囚われていたように思う。

母は専業主婦でそこにいるのに、である。

おまけに私は誕生日が3月末日で、極め付けの早生まれだったために、ボキャ貧に加えて

コミュ力が圧倒的に欠如していた。

学校はまるで、恐ろしい獣が咆哮しつつ、うようよと徘徊しているジャングルであった。

 

そんな私でも、幼稚園、小学校となんとか通い通した。不登校にもならずに。

時代が時代なら不登校ってもおかしくなかったと思うが、当時は何があろうと

学校に行かない、という選択を子どもが取ることは許されていなかった。

そこで、数々のいじめに会いながらもなんとか耐えて学校に行った。

幸い、継続的ないじめのターゲットにはされなかったので、私の場合はせいぜい

「誰々ちゃんに意地悪された〜」と、泣いて家に帰って母に訴えることができて、

なおかつ好きなおやつでも与えられればその場で忘れることができた類のものであった。

しかし母は私の話に聞く耳をまるで持たなかったため、私の悲しみ、恐怖、不安は

そのまま蓄積された。

 

小学校の高学年にもなると、ハンデキャップ(体格やボキャブラリー、コミュ力の不足)は

ほぼ解消され、それなりに友達もできてクラスでもうまく立ち回れるようになった。

 

いじめられなくなったひとつのきっかけとして、真っ当な「怒り」の感情を

出せるようになったということがある。

それまでの私は、毒親を持つ子にご多分にもれず、自己肯定感の非常に低い子どもであった。

つまり、いじめっ子に対しては恐怖しか覚えず、その場から逃げることしか考えなかった。

 

よく、いじめられてる我が子に「やり返せ!」と言う親がいるけれど、そもそも

やり返せたら、最初からいじめられないんですよ。

 

ではなぜ、やり返せないのか?

それは、いじめる相手に対して真っ当な「怒り」を感じることができないからである。

恐怖や悲しみ、理不尽さは痛いほど感じるのに、やり返すに至るまでの感情、

つまり「怒り」がわかない。

 

心のどこかで、自分はこんな扱いを受けても当然な、最低の存在なのだと

認めてしまっているのである。

こんな私っていじめたくなるよね、

うんうん、至極ごもっとも。わかるよ。

なんていじめる側を肯定しちゃっていたりして、

まさかと思われるだろうがこれは事実である。

 

では、この極め付けの自尊心のなさが、いったいどうやったら培われるのだろうか?

親が子どもの言い分を、その本心を無視し続け、

自分都合で勝手な解釈を押しつけながら育てると、

こういう子どもが出来上がる。

 

何を言ってもまともに受け取ってもらえないと、子どもは次第に喋らなくなる、

もしくはいきなり癇癪を起こして暴れるようになる。

封じ込められ、表現できない自己をそうやって発散させるしかないからであるが、

それをやると親は例外なく「悪い子」「とんでもない子」「誰に似た?」

「お前の(あなたの)せいだ」などなど、

当の子どもを目の前に夫婦喧嘩をおっぱじめたりして始末に追えなくなるから、

ここでも子どもは最後に黙るより他はない。

鬱屈した感情は、翌日の学校生活に持ち越されるから、さらに「暗いヤツ」

「きもい」「いじめてやれ」となってしまう。

 

人気YouTuberでメンタリストのDaiGoさんの動画で、彼が小学校から中学にかけて

8年間もいじめられていたお話をされていたけれど、

悪質ないじめに終止符が打たれたきっかけは、母親の悪口を言われて

突発的に怒りを感じた彼が、とっさに取った行動だった、

という話だ。

 

健全な自己肯定感を持った子どもは概していじめられることはない。

意地悪をしたりされたり、といった些細なことはあっても、それでメンタルを

やられることはない。

そして健全な自己肯定感はどこで培われるのか?といえばそれは主に、

幼少期の親との関係においてなのである。

 

子育てにおいて唯一大切なもの。

それはこの「自己肯定感を育てる」ことに尽きるのではないかと私は思っている。

 

       さびドラ

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